08/7/4




 噴火史に不明な点が多い西山(八丈富士)の活動履歴を検討した研究が千葉大学大学院理学研究科准教授・津久井雅志氏らによって行われ、このほどその研究成果が報告された。平成05〜07年度科学研究費補助金による『西山火山噴出物の14C(炭素)年代測定』の研究で、東山山腹にまで達する規模の大きな西山の噴火は2000年前には終了していたらしいこと、その頃には大賀郷地域はほぼ現在の標高まで達していたことがわかった。津久井氏らは『伊豆諸島における9世紀の活発な噴火活動』なども報告している。20世紀後半から起きている東北〜中部の日本海側での活発な地震活動は、9世紀の活動に似ていて、南海・東南海地震の発生へ向けた過程の一つとみられるという。火山活動を予測する手がかりを得るためのこうした研究は、今後ますます重要性を増しつつある。
 02年には西山直下から北方海域にかけてマグマが貫入するなど、西山火山は現在もなお活発だ。研究代表者の津久井氏は「八丈島の将来の中長期的な火山活動を予測するためには、過去の活動履歴を知っておくことが重要」として、5地点で採取した試料(炭化木片)から放射性炭素年代を求め、西山の活動記録に時間目盛りを入れることを試みた。
 八高前の大賀郷園地内から採取した試料は、徳里山(植物公園内)から流出した溶岩流により焼かれた木片で、炭素年代は西暦50〜120年と測定された。これにより、この当時はすでに西山と東山の接合部は陸上にあり、現在の標高に達していたことがわかった。
 また、奈良・平安時代の製塩施設であった可能性が指摘されている火の潟遺跡(永郷)は、火山性の泥流の堆積物に覆われているが、その泥流中の炭化木片の年代は、西暦1030〜1160年だった。伊豆諸島は9世紀前後に噴火が集中しており、火の潟遺跡が廃棄された原因は9世紀前後の火山活動との関連が予想されたが、測定の結果はそれよりも若い11世紀という年代だった。
 この年代値が示す意味は「11世紀ころに製塩施設付近を泥流が流下し、二次的に遺物を再堆積させた可能性があげられる」という。津久井氏は「八丈島の9世紀の活動の手がかりが得られないかと、調べていますが、まだ決定に至る発見はない」と話す。
 なお、他の3つの試料は、東山北山腹(尾端観音堂の南)にある西山から噴出したスコリア質テフラ群(通称・黒ジャリ)から採取した。3700年前ころに起こった最後の東山の軽石噴火によるテフラ(火砕物)の上部にあり、年代は紀元前800、同500、同450年ころに噴出したらしいことがわかった。
 津久井氏らの研究は、プレート相互の影響の理解を進める目的で、太平洋プレート、フィリピン海プレート、アムールプレート、オホーツクプレートが接し、大規模な地変が数多く発生している伊豆諸島北部の地質・岩石、考古遺物、数値年代、文書記録などを再検討したものの一つ。報告書には、西山噴火史の研究の他に、『伊豆諸島における9世紀の活発な噴火活動について』をはじめ、『9世紀にアムールプレート東縁に沿って起きた噴火・地震活動』『伊豆大島火山大規模噴火の推移』『三宅島ヘリコプター観察記録』の研究成果も収録されている。
 9世紀は、伊豆諸島と富士山で噴火が集中している。838年に神津島で天上山噴火、新島では857年頃に久田巻−阿土山噴火、886年に向山噴火があった。伊豆大島では838〜886年の間に3回の大規模噴火が起こり、三宅島では850年頃に雄山−三池で噴火、832年にも噴火があった。富士山でも800年のほか、承和年間の838年から848年ころに噴火があり、864年には溶岩が青木ヶ原を覆った。
 当時は地震活動も活発で、東北地方西岸、越後平野、長野盆地西縁、糸魚川静岡構造線、南海トラフで最大規模の地震が連発。887年には長野盆地西縁の地震と、近い将来再来が懸念されている南海地震・東南海地震が同日に起こった。激しい地震動により八ヶ岳の山体が崩壊して千曲川に地震ダムができ、翌年決壊して大洪水となった。
 20世紀後半から起きている東北〜中部の日本海側での活発な地震活動は、9世紀の活動に似た状況にあり、南海・東南海地震の発生へ向けた過程の一つとみなせる、という。