

| 「花と緑のフェスタ08」の一環として17日、「第3回八丈島芸能文化交流会」(同実行委、観光振興実行委主催)が八高視聴覚ホールで開かれた。今回の交流ステージのゲストは南大東島、青ヶ島からそれぞれ9人、岩手県奥州市から27人の総勢45人。観客296人は、地域色豊かな芸能を堪能し、出演者は交流を通して絆を深めた。 交流ステージで「八丈島に里帰りする芸能」として注目を集めていたのは、南大東島の『相撲甚句』=写真上。同島の映像をバックに、JA職員・名嘉芳成さん(46)の力強い歌声が会場に響いた。これに合わせ、化粧回しをつけた4人の力士が、「切りは」(囃子)をかけあいながら相撲踊りを演じた。 続いて、オリジナル民謡で島おこしをしている「浜ちゃん」こと、濱里保之さん(48、南大東村役場産業課長)が、三線を弾きながら自作の『汽車ポッポ』『大東塩梅(しょめ)節』などの島唄を披露。会場からひときわ大きな拍手が送られた。 このあと、あいさつに立った南大東島の仲田建匠村長(49)は「八丈と沖縄の文化が融合し、チャンプルー文化と言われる南大東島には、サワラの漬けの大東寿司や、苗字にも、開拓者であった八丈島の人たちの名残があります。この交流会を契機に、先代が築いた文化をお互いが後世にしっかり引き継がなければと思います」と述べた。 北からのゲストは、民謡育成団「昭月会」(岩手県奥州市)。会主の小野寺岩月さんは、交流ステージ当日に創作したという八丈島の唄や岩手の代表的な民謡『南部よしゃれ節』などを朗々と歌った。三味線と尺八の演奏で、地域色豊かな歌と踊りも披露された。 「青ヶ島郷土芸能保存会」が演じた青ヶ島の民謡『人里離れた池之沢』『豊年祝い唄』は、八丈島の踊りと似ているが、振り付けは軽快でリズミカル。踊り手の笑顔に誘われて、会場は明るいムードに包まれた。 八丈島からは「樫立踊り保存会」「八丈太鼓六人会」「八丈島民謡保存会」(八丈太鼓愛好会、よされ会、八丈太鼓月曜会、樫立太鼓会、加茂川会、島っ子会)が、島に残る伝統文化のエッセンスを披露。樫立踊りには、今回初めて小学生6人が加わった。 同交流会の佐々木豊茂実行委員長は「芸能文化の交流の輪はこれからも広げていきたい」と語る。このイベント費用は100万円。ほとんどのゲストは旅費の多くを負担しながら、交流に協力した。 相撲甚句は江戸時代に相撲と共に生まれ、かつては八丈島でも奉納相撲の際に演舞されていた。八丈島出身の開拓民が築いた南大東島では、1925(大正14)年、大東神宮祭の余興相撲の際に初めて披露されて以来、今日まで受け継がれている。 七七七五の甚句の歌詞は、『どんす揃えて土俵入りなさる お相撲姿の程のよさ』『相撲じゃ小柳力じゃ雷電 程のよいのが鬼面山』『やぐら太鼓の鳴る度毎に 思い出します主のこと』『そろたそろたよ相撲さんがそろた 秋の出穂よりよくそろた』など。遠い昔を彷彿とさせる文句だ。 南大東島の相撲は、9月23日の大東神社祭の呼びもののひとつ。午前中は小学1年から中学3年までの全員が出場する学童相撲、午後は一般の江戸相撲と沖縄相撲が行われる。幕内の最高位は大関で、以下関脇、小結、前頭1枚目から5枚目までの、東西16人の選抜された力士によって取り組まれる。豪華な化粧回しをつけた力士たちが土俵入りし、相撲甚句に合わせて、円陣を組んで手踊りを演じる。力士の「切りは」(囃子)の掛け合いが特徴的で、差す手、返す手、くるりと回る仕草は、相撲の四十八手を表現したもの。 八丈では姿を消してしまった相撲甚句だが、名嘉さんは10年前、姉妹島交流の関係で八丈島を訪れた時、その経路を調べたことがある。そして、「八丈島誌」に記載されている相撲甚句の囃子の文句『推してけ差してけ三段目 負けても勝っても関取だ』『所は上州館林 挽き割り御膳の炊きおろし いっとき過ぎればパラリトセ』が、南大東島で歌い継がれていることを知った。 南大東島の人口は1470人。古くから続く相撲と相撲甚句について、名嘉さんは「島が続く限り、消さない」と、きっぱり言った。 同島の基幹産業はサトウキビ栽培。収穫物を運搬するために、1984(昭和58)年まで島内を汽車が走っていた。濱里さんの島唄『汽車ポッポ』はその汽車のことだ。 16日の交流ワークショップ(無料)は、「八丈太鼓講座」「八丈島の民謡と踊りの講座」のほか、太鼓の打ち手が森へ案内し、八丈太鼓に適したバチの材料を切り出す「太鼓のバチ切り」の3つが行われ、55人(島外52人、島内3人)が参加した。 この中で、民謡と踊りの講座に参加した人は、町が所有している黄八丈を着て記念撮影。これが喜ばれ、八丈島の観光メニューに組み入れるといいのでは、との声が出ていた。 この日夜は三根公民館で交流懇親会が行われ、113人が参加。親睦を深め合った。 |