

| 江戸時代の創建と推定される三根、底土通り沿いの高倉が、歴史民俗資料館に移築されることになり、このほど解体作業が行われた=写真。 六脚倉で、床面積は25平方メートル(4.6×5.5メートル)。1984(昭和59)年に都の有形文化財に指定された。石野喜久(のぶひさ)さんが所有していたが、06年12月に町へ寄贈。町は保存活用の面から、資料館にある四脚倉の隣に移築することにした。構造形式などを比較できるので、展示効果が高まりそうだ。 組み立て、復元は20年度に行い、事業費は両年度合わせて3460万円(都と町が50%ずつ負担)を見込んでいる。設計監理は株式会社文化財保存計画協会に委託。解体保存工事は、克郎工務店が請け負っており、ほかに文化財建造物木工主任技能者の佐藤武仁さん(大分県)も携わっている。 移築する高倉は、たるきや柱、板壁などの材が建築当時のまま残っており、四角い和釘が使われている。 八丈島の高倉は、その外観から、黒潮文化圏に包含されるとみられがちだ。しかし、穀物を鼠の害から護るために柱(脚)に取り付けられた「鼠返し」は、静岡県韮山の山木遺跡(弥生時代)で発掘された高床式穀倉の「鼠返し」と同じ形態。都は『伊豆諸島文化財総合調査報告』(昭和35年)で、「往古において八丈島と本土との間には文化交流があったものと考えられる」としている。 八丈島の高倉の柱のほとんどは四脚、六脚で、最も多いのは末吉・長戸路屋敷にある十二脚。この十二脚倉も都の有形文化財に指定されている。 |