
| 「天下りという社会の仕組みが官僚、政治家、学者、企業との癒着や薬害問題を生んだ」。 6日夜、やまんばハウスで行われた住民ボランティアグループ主催の『こころとからだに やさしい生活 やさしい社会』のイベント(トークと写真、音楽のコラボ)で、薬害エイズの被害者の川田龍平さん(31、写真右)は、静かにこう語った。 血友病患者の川田さんが、米国から輸入された血液製剤でHIVに感染したことを告げられたのは10歳の時だった。「どうせ生きられない」と将来をあきらめて中学時代を送るが、母の強い決意で93年、国と製薬会社を相手にしたHIV訴訟原告団に加わる。そのときから「何もしないであきらめるのではなく、希望を持とう」という思いへ変わっていった。 19歳で実名を公表。95年に若い人たち3500人と手をつないで旧厚生省の建物を取り囲む。この「人間の鎖」が裁判に与えた影響は大きく、翌96年、国は謝罪し、和解を受け入れた。 現在は松本大学講師として教育の仕事に携わり、講演活動を続けている川田さんだが、「社会の仕組みはいまも変わっていない」と指摘する。 現実に、薬害エイズ事件だけでなく、HIVやエイズについて知らない学生たちが多く、先進国の中で感染者と患者が増え続けているのは日本だけ、という。 「人は死を避けられないが、殺されたくないし、殺すこともしたくない」。薬害の問題は戦争と平和の問題にもつながる。 ドイツに留学していた川田さんは「ドイツでは学費はかからないし、アメリカには奨学金制度があるが、日本の大学生はアルバイトで稼がなければやっていけない」と、競争原理のもとで格差が広がるいまの社会構造にも目を向けた。 会場には、中南米、パレスチナ、アフリカなどの戦場で生きる人たちを撮り続けるフリーのフォトジャーナリスト・亀山亮さん(31)の写真13点が展示された。 亀山さんの著書には、「忘れ去られた戦争」(岩波書店)、「Palestine」(自費出版写真集)などがある。友人の丹下遊さん(32、写真左)は、パレスチナで被弾して片方の目を失明した亀山さんを、「そうまでしてもニュースからこぼれ落ちてしまっている人たちのことを大事にしなければ、と思っている人です」と語った。 |