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南海タイムスの第1号は、昭和6(1931)年9月15日。月刊で、B5版4ページ。 創刊者は、作家・小栗又一(幕末の勘定奉行・小栗上野介の孫)。翌7年4月、吉田貫三が印刷所(大正12年創業)を岐阜県大垣市から八丈島へ移転。 島内での新聞の印刷が実現し、発行が月2回となる。9年10月に吉田が商標権を買い取り、株式会社南海タイムス社になる。同12月、第3種郵便物認可。 10年1月、発行回数が増え、旬刊(月3回)となる。12年から紙面はタブロイド版に。

16年、太平洋戦争開戦。用紙割り当てがなくなるなか、発行を続ける。警察の事前検閲が始まり、19年6月、軍命により休刊。 戦後は物資不足とインフレで新聞発行は困難な状況だったが、島民の強い要望で21年1月再刊。多くの人の支援を受けて事業が継続されるが、 23年まで編集体制はめまぐるしく変わる。

24年、菊池正則(椿三平)が吉田から経営を引き継ぎ、同5月から日曜日発行の週刊となる。53年、オフセット印刷機2台を導入し、9月から紙面を全国紙並みのブランケット版に拡充。 組版も写真植字に変わり、活版印刷の鉛活字は紙上から徐々に姿を消していく。自社でフィルム製版を行い、写真の掲載が容易になる。58年、経営が菊池弘子に変わる。

平成4(1992)年からタブロイド版、4ページ。平成6(1994)年7月、有限会社に(苅田義之代表取締役)。このころからパソコンによる編集作業を始める。 平成11年4月30日から、編集データをインターネットで送信できるようになったことを契機に、印刷・発送業務を東京で行う。新聞少年の減少に伴い、配達を郵送に切り替える。

平成20(2008)年1月1日、創刊3333号を迎え初のカラー版発行。平成22(2010)年から発行回数を年4回減らし、平成26(2014)年から月2回に。 令和2(2020)年6月に発行した第3752号っをもって休刊。その後電子版を不定期で発行(2020年9月、2021年2月)する。令和3(2021)年4月、5月、6月にフリーペーパー「n」を発行。 令和3(2021)年6月、八丈島の記憶を未来につづる、という趣旨でホームページを刷新する。

電子版、紙ベースでの情報発信の在り方を模索していく。

①昭和6(1931)~7(1932)年

②同7 (1932)~11 (1936)年

③同12(1937)~平成4(1992)年
(高田幸太郎氏が揮毫)

新聞のサイズがブランケット版2ページからタブロイド版 4ページに変わった時、題字が横組に。
④平成4(1992)~11(1999)年

⑤平成11年(1999)~令和2年(2020)年